Skip to content

いのち(その11)デジタル世界とアナログ世界について

 一般の人々が日々生活しているこの世界は、全く無意識的ではあるが、前記(その9)で述べたように、意味によって、こなごな・・・・に分節された言葉の世界である。そこでは、すべてのものが、分立している。しかも、それらは、その意味によって厳しく固定化されているのである。
 従って、それらは、互いに対立し、相争う世界である。また、それらは、恨み憎しみあう世界である。しかも、人々は、我が!我が!と自己中心的になって自己に執着し、また、多くの物事にも執着し、それによって苦しむ世界である。これが、いわゆる「苦界」である。
 私は、この世界の惨状の根本の原因は、世界が意味によってこなごな・・・・に分節され、しかも、厳しく固定化されていることに在る、と考えている。イメージとして言えば、この世界は、「デジタル世界」なのである。

 これに対し、前述のように、意味の絶した“いのち”の世界は、分節の無い連続の世界であり、また、限りなくしなやか・・・・で、限りなく透明な世界である。これをイメージとして言えば、「アナログ世界」であろうか。

 このように世界を二つに分割すると、私には、言葉を持った人類が、あのエデンの園から追われた旧約聖書の物語を思わずにはおられない。何故に、人類は、限りない安らぎと限りない幸せの国である“いのち”の世界、すなわちアナログの世界を追われ、この苦海であるデジタルの世界に来たのであろうか?

 しかし、我々は、このデジタル世界にあっても、決して、我々の源であるアナログ世界を失ったわけではない。それどころか、我々は、前記(その10)で述べたように、一瞬たりとも、その源のアナログ世界を離れることは、ないのである。ただ、気付かないだけであって、アナログ世界は、いたる所に存在する、とされている。そこを我々は宗教と呼んでいる。そこは、勿論、“いのち”の世界なのである。