私は、19年前の平成13年に「知性の源を求めて」という小冊子を上梓したが、その中で、幼児が如何にして世界を分節し、それを「意味」として言葉を獲得し、論理を組み立てたか、と云うことを探求してみた。
例えば、発達心理学者の無籐隆氏などによると、幼児は、まず、動くものと動かないものを分節し、更に、その動くものの中でもぐにゃぐにゃ動く動物と、乗り物のように音を立ててすっーと動くものを分節し、更に、次第に段階的に犬、兎、馬などが、あるいは、常用車、トラック、オートバイなどが、分節されてくるという。(1)
また、ピアジェ氏は、13枚の絵カードを用意した。すなわち、アヒルの絵カードが3枚、更に、アヒル以外の他の鳥の絵カードが5枚、更に、鳥以外の動物の絵カードが5枚、計13枚の絵カードを用いて幼児の心理学テストを行った。その結果、彼は、幼児が、「アヒル」、「鳥」および「動物」の間の包括的な分類能力を、誰に教えられたわけでもないのに既に持っていたことを示したのである。(2)
「アヒル」は「鳥」に含まれ、更に、「鳥」は「動物」に含まれる。
重要なことは、この分節されたものを更に分節し、次に、その分節されたものを更に分節するという階層的な分節(意味)の構造が、我々に、言葉(文)と論理をもたらす、と云うことである。すなわち、
- アヒルは鳥である。 (文、すなわち、主語→述語)
- 鳥は動物である。 ( 同上 )
- アヒルは鳥であり、鳥は動物であるから、アヒルは動物である。(論理・三段論法)
要約すれば、世界分節(意味)の成立→言葉(文)→論理、である。
これを見れば、我々が、日々の生活の中で、ほとんど無意識のうちに使っている言葉や理屈は、幼児の“いのち”の世界を分節し、これを意味化することによって成立したものであることが分かるであろう。
すなわち、意味→言葉→論理の三者は、“いのち”を源とし、その源から直接的ないし間接的に派生した流出体であって、いわば、“いのち”からの下流に連なる三つの機能体である、と云うことが分かる。
換言すれば、世界分節の前の世界は、一切の意味の絶した世界、一切の言葉の絶した世界、また、一切の論理の絶した世界であり、このような想像を絶した世界こそ“いのち”の世界であり、この世界こそ、総ての宗教の原点である、と云うことが出来る。
参考文献
(1)大津曲紀雄偏「認知心理学3-言語」東京大学出版会・1955年・p.69~70
(2)同p.180